明日でおしまい

明日で長年勤めさせていただいた社会人学校の講師業が終了する。通常の仕事とは別であったため、主に土曜日に準備にあたり日曜日に教壇に立つという日々で、それが当たり前のように感じるほど。そして、来週からの週休二日生活に一抹の不安を覚える。

学校では二十歳前の学生さんから年配の方まで本当に多くの方に教えさせていただいた。今でこそ授業の組み立てや資料づくりなどをある程度はスムースに出来るようになったけれども、始めた当時を思い返してみるとそれはもう酷いもので、よく嫌にならずについてきてくれたなと思う。当時の生徒さんと時々お会いすることがあって、「先生(私)に教わって良かった」などという有難いお言葉をいただくが、むしろこちらから謝りたい気持ち。

とはいえ、それまで他人にものを教えたことも/教わったこともなく、まして人前で話すことが得意ではなかったこともあって、いろいろと試行錯誤をしながらの授業だった。特に、他人から教わった経験があまりに少ないことが気がかりで、どんな言葉や言い回しが分かりやすいのか、どんな間をとったら良いのか、表情は、声のトーンは、と考えたらきりがない。各種書籍や業界のセミナーやカンファレンス、講演会などに出かけていき、少しずつ勉強をしていった。

そんな中で最も心がけたことは、ある物事を説明する場合にそれを自身が理解できた瞬間を思い出して、その前後のプロセスと共に説明をすること。「理解」の捉え方は人によって千差万別だけれど、それでもそれは物事の抽象度を高めていったその極限、もしくはその過程の一部分であって、かつ演繹が可能な考え方を手に入れることに変わりはないと思う。言葉にしてみれば簡単なことでも、講座の中で生徒さんの考え方をその方向に導いていくことは本当に難しかった。それに、生徒さんの来校の目的によっても方向性を変えなければならないし、そこのところの見極めには非常に悩んだ。ともかく、僕の思うところが少しでも伝わっていたら嬉しいな。

また、講師/生徒としての立場を超えて、個人的に友人としてお付き合いをさせていただいている方も何人かいて、実のところでそんなつながりを生み出してくれる場所が無くなってしまうことが最も寂しい。自分とは異なる年代、考え方を持つ方々とのお話は非常に楽しく、私がむしろ生徒として勉強をさせていただいていたようなものだから。

つらつらと思ったことを文章にしてみた。なかなかうまくまとまらないけれど、最後の準備をしながらこんなことを考えていた。

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